本棚に日本小児放射線学会の投稿論文が残っていました。ほとんど上司が作成してくださったものです。医師国家試験に受かれば何をしてもいい。最初は放射線科医だった。いろいろな病気の方の画像診断を教えていただきました、さらには放射線治療の位置決めとかいろいろなことを経験させていただきました。医師免許を取得してまだ2年目の時秋田で行われた神経放射線学会で発表させていただきました。そして学会誌に投降したのもです。MRIで福山方筋ジストロフィーの乳児さんにMRI検査を行い文献的検討を加えたものでした。バブルで豊かな平成の時代、放射線科では上司に恵まれ全国学会に何度も連れて行っていただきました。研修医や専攻医には旅費や宿泊費の支給はないのですべて自腹ですが金を使う間もなく少ないながらたまる一方というか公務員だから収入は公務員+当直費、周りの迷惑をかけてばかりでしたが周りの方は優しかった。うれしいやら。10月のアレルギー学会の近畿地方会を抄録で見ていると呼吸器の有名な先生の公演がありご一緒に研修した先生でした。結婚され名字が変わっていました。そしてメガネがコンタクトレンズになってました。