比叡山横川の行院を思い出します

書写山の東阪本から登り口です

書写山の東阪からの参道付近

小太郎漢方製薬で7月のお昼休みWEB講演会でお話させていただきます。たいしたお話はできないかもしれませんがおそらく一度私のお話を聞いてみたいという方が少ないながらおられるのではないかと思います、白内障の手術はこれより後かなとも思います。何でも内容は良いみたいですが小太郎漢方製薬の系統中医学講座さらにエキス漢方Zがいかに斬新かまた東京までこれらの漢方の講演会に参加するきっかけについてまずはお話したいと資料作りを始めまし。

この書写の東坂本で生まれ育ちました、兵庫医科大学の4年生で得度を受け神戸市立中央市民病院に在籍した平成3年4月に比叡山横川の行院で住職資格を得ました。今も住職資格は残してありますが宗教活動は致しておりません。歌を忘れたカナリア、ならぬお経を忘れた僧侶、今は仏教界は瀕死です。仏門をこころざす人は減っている、横川の行院へ集まる方が私のころは30人今は10人無住職の寺が増える。朝は起床して便器を素手で掃除します。私がぎょうに行く前には比叡山ドライブウエイを二人で兵庫まで逃げ帰った方がおられたそうです。獣がいっぱいお金も持たず逃げ出す私には勇気がなかった。一人胃潰瘍で吐血して帰った。暇ができたら座禅を組む暇があれば作務衣を着て作務、参拝の方とも会話は禁止。4月7月10月年三回住職になるにはこの関門を潜り抜けないといけない

庫裡の前のお庭の木です