お盆休みは私自身の外来受診とCHEMOの入院などあっという間でした。子供が家を出てから初めて長く帰ってきた。就職活動です、見学です。5年間の研修医はよいがそのあとはポストがないと職に就けない。患者さんも大病院志向ですが5年の研修が終わったらみんな大きな病院で働き多人が多いと思う。今は3年目から高収入の美容外科もあるそうですが。時代が違うといえば県内の病院で専攻医がなくなった話。私のころは医師は労働組合に入っていないし医師免許は持っているが不安定な身分でした。すべて時代が違う、メールで事務の担当者と連絡し日と見学する科目が決まる。私なんか見学も何もなく、部長先生と初めてお話したのは試験の後。私のことはインターン制度が身分不安定ということで研修医制度になっていましたが大学に残れば毎月5万円の給与、最低賃金以下で研修医をすることになる。私立の高い授業料生活費ということで自分で稼がないといけない、給与は市役所の職員+当直料、市中病院の試験を受けることを決めたのは卒業前の1月倍率2から2.5倍落ちたら大学病院で研修するしかない。ふつう大学病院で研修する時代、2月に受験、ウイークデイに病院で受けた。一学年上には部活動の先輩もおられた。入って分かったのは学生時代卓球部でお見掛けする人が先輩にも同級生にもおいらっしゃた。試験は国師問題と面接だったと思います。ちなみに今でいう専攻医(後期研修医)試験後期研修医試験は英語と面接だったおもいます。初めてポートアイランドの病院に行った。医大の同級生は3人受けた面接まで時間があるのでお昼は車に乗っけてもらい三宮の東のロイヤルホストに行った。西宮も便利ですがここも便利なところだと思いました。まだポートアイランドに夢がありシミ広場にはバンドールや近くにアイランドカフェもあった。アイランドカフェで大きなケーキとテイーソダを初めて飲んだ。レモンテイーのソーダ割ですがおいしく珍しかった。病院前にはダイエー、そばの家族亭インド料理のゲイロード、当直の時には徳島屋のお好み焼きなど。当直の時は救急外来だけで一日200人忙しのでカップ麺が普通。今は阪神間の病院は研修に人気でなかなか入れないそうです。文部省管轄の国立大学も受かっていたが私の希望で文部省管轄ではない大学に通っているので研修2年終わったら10年間独立行政法人機構が指定するところで就労しないといけない。私は来年の5月で姫路に帰って30年、安室中学校区の方に受診していただき30年。病気持ちだからいつわたしは終わってしまうかもしれない。毎日診療していると毎日励ましてくださる。非常勤で産業医・学校医それ以外にもいろいろしています。ゆっくりしようかと6月は思ったがもう20年私のようなものと働いていただいている職員に私がお返ししないといけないからやめられない。昨日も昼からカルテを見て病名チェックしレセコン入力して20時ごろまで二人三脚で頑張りました。今日は化学療法のお薬のだるさか夏の疲れかぼんやりしています。水曜日休んでいる間に医療デジタルとタンスフォーメーションに向けて電子カルテに対応できれば事務員さん少なくて回っていくかもしれないから研修に行くことにしました。2025年5月で30年。帰ってきたのは阪神淡路大震災の直後。震災当日はちょうど夜当直でした。テレビを見て守衛さんに当直ですが無理ですとお伝えしたがそのあとは電話がつながらなかった。坊瀬汽船で姫路港からメリケンパーク経由天保山行きの船が出ていたので週の初めに行き週末帰ってきていました。須磨までしかJRはいけませんでした。毎日夜は眼科外来のソファで横になっていました。真夜中の待合室にはいろいろな人が休んでいた。昼は太子町からお弁当が届いていました。ありがたい。メリケンパークに向かう途中南京町を歩いていてケンミンの汁ビーフンをふるまって貰ったこともありました。とにかく温かいものが欲しかった、元町のもっこすも安い値段で早くから営業再開していました。医療は不況になると強い、ただ17時には終わらない、土曜日も仕事。閉院しているか、診療のコマ数が減っている。ふかっつしているか。